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Vol 69:胚培養士のお仕事について

Tiempo de lectura: 2 minutos

病院の先生方をゲストにお招きし、不妊治療の最先端医療技術についてわかりやすくお伝えしていきます。今週のテーマは「胚培養士のお仕事について」

番組情報

放送分:2019年8月25日放送分
ゲスト:亀田IVFクリニック幕張 平岡 謙一郎先生
テーマ:「胚培養士のお仕事について」

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番組紹介

ここからのお時間は「妊活ラジオ~先端医療の気になるあれこれ」をお届けします。
最近「妊活」という言葉をよく耳にしませんか?
妊娠の「妊」、活動の「活」、ひとことで言えば文字通り「妊娠するための活動」という意味があります。
まさに妊活中のあなたに届けていく20分間です。

この番組では、ゲストをお迎えし、テーマに沿って不妊治療の最先端技術をご紹介していきます。
お話を進めていただくのは、スペイン発の不妊治療を専門とした遺伝子検査会社アイジェノミクス・ジャパンのラボマネージャーであり、工学博士のトシさんです。トシさん、よろしくお願い致します。

番組内容

トシ: よろしくお願いします。今日はスタジオに亀田IVFクリニック幕張、平岡謙一郎先生にお越しいただいています。今日のテーマは「胚培養士としてのお仕事」についてです。

西村: さあ、今週も始まりました『妊活ラジオ~先端医療の気になるあれこれ~』。早速、ゲストの方をご紹介いたします。亀田IVFクリニック幕張より、平岡先生のご登場です。よろしくお願いいたします。

平岡: よろしくお願いいたします。

西村: パチパチパチパチ(笑) 平岡先生はこういったラジオのご出演とかは結構おありですか?

平岡: いや、まったく初めてです。

西村: じゃあ、ちょっと緊張。

平岡: かなり、緊張してます。

トシ: (笑)

西村: 大丈夫ですよねトシさん、私たちで、リラックス。

トシ: そうですね、リラックス。和やかに、楽しくいきましょう。

西村: はい、よろしくお願いいたします。

平岡: お願いします。

西村: さて、まずは亀田IVFクリニック幕張のご紹介を。平岡先生、お願いできますか?

平岡: はい。亀田IVFクリニック幕張は2016年に開院した若いクリニックで、千葉県の千葉市、JRの京王線の海浜幕張駅より徒歩5分のところにあります。
 主に体外受精をはじめとした高度な生殖医療を提供させていただいていて、元々は鴨川市の方にあります亀田総合病院のサテライト、分院になります。特徴としましては、クリニックに来られる患者さんの不妊治療に関することはもちろんのこと、将来妊娠を望まれる若い世代の方や、また、がん、生殖医療に対する啓発活動なども力を入れております。

西村: トシさん。クリニックの場所とか、重々ご存じの場所だったんですって?

トシ: はい。もう、私が住んでいるところから車でも10分、すぐ行けるところにあって。むしろ、ここにあったんだ、と思って。で、先日説明会の方に行かせていただいてから、平岡先生ともご紹介していただいて知り合いになった、という経緯があります。

西村: あっ、そうなんですね。平岡先生、今日は「胚培養士としてのお仕事」と題してお届けするので、平岡先生スペシャルでございますよ?(笑)

平岡: はい。

西村: ぜひあの、胚培養士って、私の周りにもそういったお仕事をされてる方ってなかなか、ねえ。いらっしゃらないので、すごく私も興味津々なんですけれども。まずは、培養士になられたきっかけなどから順にお話しいただけますか?

胚培養士を目指したきっかけ

平岡: きっかけは、元々大学時代にウシの卵子を使った実験、研究をやっていて。大学院まで行ったんですが、その後なぜか下水処理の会社に2年ほど勤務しまして。なので、まったく体外受精とは関係ない仕事をしてたんですけれども、今の妻になりますが、妻の紹介で培養士の仕事を始めることになったのがこの培養士になったきっかけになります。

(二人): へえー。

トシ: やっぱり大学のときに卵を扱っているという、その特別な技術だと思うんですよね。私がいた大学もマウスだったり、ウシだったり、そういった卵を使って研究してたので、周りの先輩後輩、やっぱりこういった不妊クリニックに勤めているのが結構います。

西村: そうなんですね。

平岡: 僕も当時はあんまり農学部がそのまま培養士ってのがちょうどその走りぐらいのときだったので。

トシ: そうですよね。

平岡: 今も僕の後輩とかもだいぶ多く、もううちの研究室をいくとそのまま培養士にいこう、近道っていうような形に今はなってきた、だいぶ時代は変わってきたなっていう印象があります。

トシ: その後、その不妊クリニックに勤めてどうでしたか? だって、大学のときにはウシの研究として扱った訳ですけれども、実際不妊クリニックに入るともう、なんとか子どもを持ちたいと思って来られる患者さんたち。来られる訳で。どうでしたか?

平岡: ええと、そうですね。ウシの卵を使ってたときってのは、実験に例えば失敗したりとか壊してしまっても、まあ、次の週また実験やり直せばいいわって感じだったんですけど、ヒトの場合は一つ一つがその生命のもとっていうことになるので、その重みがすごく大きくて最初、だいぶ動揺したというか。
数はすごく、ウシの卵は本当に一回に100個、200個とかって扱ってたんですけど、患者さんの場合はもう本当に、年齢の高い方だと本当1、2個しか無い状態なので、数が少ない分、この責任の重さっていうのをすごく痛感したことをよく記憶しております。

胚培養士の最初の仕事

トシ: これ、まず不妊クリニックに勤めたら、どういった仕事の内容から順番に学んでいくというか、あるんですか?

平岡: そうですね、なので、なかなかやっぱりあの、精子の調整というのはまあ、仮に失敗してもまだ取り返しがつくところではあるんですが。

トシ: そうですね、男性部分はある程度。

平岡: はい、男性側は。なので、まずはその精子の調整というところからスタートして、徐々にその卵子の方の処理とか、受精させる方向の仕事を覚えていくっていう形になります。

胚培養と技術の進歩

トシ: で、卵を培養していく流れで、例えば今ですとタイムラプスとか、培養しながら観察するってのがあるかと思うんですけれども、当時だとまだタイムラプスが無いとき?

平岡: はい、そうですね。

トシ: するとこう、どこまで発生したかなってこう、確認する。だいたいヒトだと、受精してから5日間経つと胚盤胞期胚という、着床するために良い状態の卵になる訳ですけれども。その当時、どういう形だったんですか? 毎日見る?

平岡: あの当時は、胚盤胞ですね。風船の状態になるまで育てる培養液というのがまだできていなくて。なので、本当に初期の段階ですね。
卵って1個が細胞分裂をすると2個になって、2個が4つになって、で、また4つが2個ずつ割れると8個といった感じで倍々で。なので、あの当時は8細胞まで。言い換えると、今培養しているその途中までぐらいしか培養できるだけの技術であったり培養液しか無かったので。あの当時は本当にずっと、一応毎日は見ていましたけど、途中までがもう、メインでしたね。

トシ: それでだいたい、15年前とかですか?

平岡: そうですね、15年前です。僕が2000年に培養士になったので、2005年あたりからもっと長く培養して風船のところまで育てよう、っていうのが。ちょうど始めて5年ぐらいになった頃。

トシ: ちょうどそのときが、培養液の、ねえ。

平岡: そうですね。本当に革命があったときですね。

トシ: 革命があったとき。私がマウスの研究をしてたときも2セル、2細胞期まではこの培養液で、それ以降はこの培養液で、って変えてたので。
 私、このアイジェノミクスに2年前ですね、入って。各クリニックさんを回っていく中で、今はどのような状況なのかなって確認したときに、培養液が一つで胚盤胞期までいくとか。そうそう、それちょっと驚いた記憶があります。

平岡: なので、ちょうど途中まで受精卵が必要とする栄養素と、まあ前半後半ですね、後半に必要とする栄養素ってのはだんだん研究者の人が明らかにして、それを商品してくれたっていうおかげで、今、胚盤胞というその風船のところまで育てるだけの培養液が本当に当たり前になったという、ちょうどその変換の時代に培養士を始めたっていう話ですね。

西村: さあ、後半も亀田IVFクリニック幕張より平岡謙一郎先生にお越しいただいております。さて、前半では培養士になられたきっかけとか、技術的な部分の革新がいろいろあったっていうお話もすごく興味深かったんですけど。

トシ: 平岡先生はその不妊クリニックに勤めながら、博士号を取ってらっしゃるんですよ。

西村: ええっ?

トシ: 働きながら研究をしていたっていう経緯があって。その辺の話をちょっとお聞きしたいなと思って。お願いいたします。
 まずはこの、博士号を取ろうと思ったきっかけから聞きたいんですけどね。

平岡: これはもう、完全に父親のアドバイスに従った結果で。僕、元々ものすごく、駄目人間。

西村: (笑)

トシ: いやいや、何を。謙虚ですね(笑)

平岡: 本当にダラダラした人間なので、父親にその下水処理から培養士にちょっと転職する、って話をしたときに、お前のぐうたらな性格だったらただ培養士としてなんとなく仕事をこなすのではなくて、博士号を取るぐらいの勢いでやらないと多分お前は良い培養士になれない、ってことを言われて。
で、じゃあやるからには博士号を取るっていうぐらいの勢いでちょっとやろう、ってことで目指したってのが経緯ですね。

トシ: でも、その間、休みも無くやることになるので。
私よく、大学院のときにやっぱり社会人ドクターの方がいらっしゃったんですけども、普段はやっぱ勤務してらっしゃるでしょう。で、その勤務が終わってから研究用のことをしたり、休みの日はもちろん研究のことしたりしてるので、見てて大丈夫かな? っていう感じがすごくあったんですよね。でも先生は、本気だったんですね、ものすごく。

平岡: そ、そうですね。

西村: ストイックな(笑) もう、こうと決めたらそのアドバイスに従って進んで。

平岡: そうですね、進めてくっていう。

トシ: ストイックなんです。本当そうです。で、そこでやった研究の内容というのが?

胚盤胞を凍結・融解する際の生存率を上げたい

平岡: 先ほどお話に出てた風船の状態まで育てた卵を、今度は、不妊治療で大事なのは凍結保存をしないといけないので。風船のようにぱんぱんに膨らんだ卵の凍結保存って、あの当時すごく難しくて。凍結保存して解凍しても駄目になってるってことがよくあったので。
まずテーマは、自分の今やってる中で困っていること、っていうところから探していって。で、風船の状態のものが解凍した後に駄目になってる、これをどうにかできないか、というのが元々研究テーマの始まりで。
簡単に言うと、その中に水がいっぱい溜まってる状態になってるので、それをそのまま凍らせると中で氷の結晶ができて、それが膨化(ぼうか)して膨らんで、その膨らみに耐えられなくなってその風船が割れてしまって、というのが駄目になるメカニズムだったので、そこで中の水を抜いてあげて、ちょっと縮ませてあげたらどうだろう、ということでやったら、それがすごくうまくいって。
 簡単に言うと、僕の博士号のテーマは、縮めて生存率を上げてあげようっていう研究になります。

トシ: これすごくね、大事な技術なんですよね。だって、それまで凍結保存するっていうアイデアはすごく良かったんだけども、その後戻したときに生存していない。ということはもう戻してもしょうがないってことになるので、すごい技術だと思います。
そのときはきっとウシの卵も使いながら実験されたと思うんですけれども、その苦労話? 動物と、ヒトの卵子の違いって。例えば、さっき話の流れであったのが、マウスの卵とヒトの卵だと大きさがまず違う。もちろん理由は分かりませんけども、サイズが違ったらやっぱりそれだけの、マウスならうまくいくのにヒトのはうまくいかない、とか。何かありませんか?

平岡: そうですね。凍結保存に関しては、割とマウスは強いので。凍結に関してはヒトよりもマウスの方が強くて簡単だ、ってなるんですけど、逆に顕微授精。卵子の中に精子1個入れる顕微授精になると、マウスの方が弱くてヒトの方が強いってことがあるんで、なかなかモデルとしてそのマウスを使ったときのものがすぐヒトに応用できる場合とそうでない場合ってのがあるので、ちょっとそこら辺は難しいところがあるかな、と思います。

トシ: ちなみに、ウシとマウスとは、同じぐらいの大きさなんですか?

平岡: ええと、ウシとヒトがほぼ一緒です。

トシ: そうなんですか。

平岡: 僕は大学時代ウシを使っていたので、ヒトの世界に入ったときにあまりサイズに関しては動揺したこと、やりづらいってことは無かったんですが、博士号を取るときの実験でマウスを使ったので、これがヒトの卵に慣れた状態からマウスを使ったときが本当にもう、半分ぐらいの大きさ(笑) だったので、ちょっと、どこに卵子があるんだ? ってのが見失うぐらい。それだけヒトとマウスの卵ってすごく大きさに差があったので、最初は慣れるまで大変でした。

トシ: まあ、こうやって、不妊クリニックで役に立つ仕事、技術を、研究の立場から作っていて、これが確立した、技術が確立したってのはすごく大きな貢献だと思うんですね。その中でやっぱり、受精卵を大事にしていくって思いがそこにはあったから、そういった技術が、研究をしていこうと思ったと思うんですけれども。

平岡: はい。

トシ: やっぱり、思いがどんどん強くなっていきますよね。だって、不妊クリニックに勤めてると、まだまだ改善すべき点は実際に見えてくるはずで。ここ、どうですかね?

受精卵の立場になって考える

平岡: そうですね、やっぱり、正直最初培養士になった頃ってのはとりあえずまず仕事をしっかりこなすことだけを考えていて。もちろんその、目の前にある受精卵が赤ちゃんになるっていうことは知識としては知っているんですが、なかなかそれが実感がわかないときもあって。
やっぱり一番その受精卵に対する思いが強くなったのは、自分の子どもが生まれてから、そこからですね。急にスイッチが入ったというか。自分の取り扱っているものがこれが本当にヒトのもと、赤ちゃんのもとになるんだという意識が芽生えてから、だいぶ仕事に対する取り組み方とか、もちろん、昔から一生懸命やってたつもりではいたんですけど、もうちょっとその受精卵の立場になって考えないといけないな、っていうふうには思いが強くなりました。

トシ: いやあ、私ね、今日先生を連れてきたのはですね、すごい熱意があるんですよ、卵に対しての。もちろん、ほかの培養士さんとお話ししてももちろん同じように大事な受精卵っていうお話をされるんですけれども、平岡先生は特別その思いが強いイメージがあってですね。今日はちょっとその辺の話、またいろいろ聞きたいなと思っています。

西村: 平岡先生。来週以降も、そんな情熱あふれる(笑) 平岡先生のお話をいろいろ、さらにね、細かくいろんなスポットを当ててお話を伺っていきたいんですけれども、具体的にはどんなお話を伺えますか?

平岡: ええと、そしたらじゃあ、まず受精卵と凍結保存についてと、その後、顕微授精についてお話しさせていただければと思います。

西村: さて、お時間となりました。今日は亀田IVFクリニック幕張の平岡謙一郎先生をお招きし、アイジェノミクス・ジャパンのトシさんと一緒にお届けしました。平岡先生、来週もよろしくお願いいたします。

平岡: はい、よろしくお願いいたします。

西村: そしてトシさん、来週は?

トシ: 受精卵と凍結保存についてお話を伺います。

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