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初めてのICSIから最新技術まで。生殖医療の進歩についても。

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FM西東京にて毎週あさ10:00~放送中の「妊活ラジオ~先端医療の気になるあれこれ」。毎週さまざまな先生方をゲストにお招きし、不妊治療の最先端医療技術についてわかりやすくお伝えしていきます。

番組内容

2021年7月2日放送分

 

西村:さあ、それでは先週に引き続きまして、浅田レディースクリニック理事長の、浅田義正先生にお話を伺います。浅田先生、よろしくお願い致します。

浅田:よろしくお願い致します。

西村:3週に渡っていろいろお話、伺ってまいりましたけれども、先生、クリニックにはスタッフの皆様は何人位いらっしゃるんでしょうか?

浅田:非常勤を含めて、今、3つのクリニックで250人以上います。

西村:え〜、そうなんですね。是非、浅田レディースクリニックのご紹介、お願いします。

浅田:はい。浅田レディースクリニックは、私が不妊治療専門として開院したクリニックです。2004年に名古屋の北の春日井市というところのJRの勝川という駅前に開院したのが最初で、2010年に名古屋駅前クリニック、2018年にこちらの品川クリニックをオープン致しました。

西村:はい。よろしくお願い致します。

リュウタロウ・マイ:よろしくお願い致します。

西村:駅からも本当に歩いてすぐで、非常に来やすいなあという患者様も多いんじゃないでしょうか?

浅田:立地はいいと思います。

リュウタロウ:素晴らしいですね。

西村:いろんなエリアからね、品川には。

リュウタロウ:ターミナル駅ですし。

浅田:私としてはどっちも徒歩圏内で、名古屋で新幹線に乗って、90分で品川に着くんで、全然負担にならないですね。

リュウタロウ:やっぱり培養室が見学出来るのが、ものすごく印象的ですね。

浅田:そうですね、2010年の名古屋をつくった時に、見学ルームで窓越しに見えるようにしたんですが、ここはもう全面ガラス張りということで、患者さんに全体を見渡していただけるということで、自慢の『見えるラボ』ということになってます。

 

ICSI(イクシー)との出会い〜研究

西村:さて、今日は初めてのICSI(イクシー)から最新技術まで、と題して先生とお話をご一緒したいと思っております。

ではマイさん、お願い致します。

マイ:はい。それでは、早速お話を伺っていきたいと思います。

先生がですね、ちょうどアメリカにご留学された頃に世界初のICSIが成功した頃だったと思うのですが、先生とICSIの出会いなどについてお聞かせいただけますでしょうか?

浅田:そうですね、私がアメリカに行ったのは1993年、で、その施設はジョーンズ・インスティテュートというところで、アメリカで最初に体外受精に成功したところです。1981年に成功してます。

マイ:はい。

浅田:1978年が最初の有名なイギリスのエドワーズの成功というところなんで、それ以降、アメリカを中心に世界の体外受精をリードしてきた施設です。で、1992年に初めて顕微受精で赤ちゃんが生まれたということでニュースになって。だからちょうど(アメリカに)行った時がその、ICSIの話題が盛り上がってた時ですね。で、たまたま私は卵の中に何かを入れて実験的にいろんなことを研究したいと思ってたんで、そういうマイクロマニュピュレーションのラボに入って、そこでいろいろちょっとやり始めたんですが、で、ICSIが話題になってたんで、ICSIの実験がやりたいと言ったら私のボスは実は1988年までICSIの研究をやってて、でも、ヒトもやってたんだけど受精卵は出来ても妊娠例が出なかったんで、そこで諦めたという、そういうボスだったんで、あなたやりたければやったらいいよ、と言いつつ、もうICSIが出来る道具とかそういうの全部出して来てくれて。

リュウタロウ:なるほど。

浅田:だから環境としては自分の好きなようにいろんなことが出来たと。で、今だったらICSIのピペットとかそういうの売ってる訳ですけど、全然売ってもないんですね。だから全部手作りですね。

リュウタロウ:ピペットを手作り。

浅田:だから、内径が5ミクロン、外径7ミクロンのガラスの管を作って、それをカットして、グラインドで斜めにして、竹を割ったようにそこの先に顕微鏡下でガラス細工してスパイクをつけると。で、私英語が出来ないんであれですけど、チームに入るとやっぱり日本人って器用なんで、僕の作ったピペットが一番いいんで、だから私は研究者として行ったんで、自分ではヒトのICSIはやってないんですが、そのジョーンズ・インスティテュートの最初のICSIの妊娠例は僕のピペットを使ったんです。

マイ:素晴らしいですね。

リュウタロウ:ガラス細工を再現するってかなり難しいんじゃないかなという印象を受けるんですけど。

浅田:難しいですけど、私、医学部行く前にちょっと工学部に2年いて受け直した人間なんで、もともと工学系が好きなんで、それが自分に合ってるなという、そういう感じでしたね。

リュウタロウ:そこの知識、経験、こだわりがものすごくそこでハマったといいますか、マッチしたと・・・。

浅田:そうですね。いいピペット作るのに半年位かかりましたけど、全然苦痛じゃなかったですね。面白かったですね。

実際、実験のハムスターの卵を使ってたんですね。で、最初はでも本当、ICSIそんなことやっていいのかと思ってた位のとこでのスタートだったんで、その顕微受精の操作の安全性を確認するというような感じの研究をずっとやってました。

リュウタロウ:はい、確かに針を刺すっていうの、想像しただけでもちょっと怖い感じもしますもんね。

マイ:そうですね。


日本でのICSIの活用

リュウタロウ:それでですね、先生、帰国されていよいよ日本でICSIを始められるというところになってくる、その頃のお話を聞かせていただいてもいいでしょうか?

浅田:結構実験は辛かったです。毎日ずーっと、好きでしたけど6時間も7時間も顕微鏡を覗いて、その時40歳位なんで、ちょうど老眼が始まりかかってドライアイで、こんな辛いのはちょっと日本に行って辞めようかなと思って、それで帰国して、そしたら私のICSIを待ってた患者がいる。で、もう注射打ち始めてる、卵を採るために。もう、非常に無責任なそういうのが始まってて、同僚が始めてて。ICSIの専門家が来るからって。

リュウタロウ:なるほど、じゃあもう浅田先生帰って来るのを知ってて、もうやってしまおうという(笑)。

浅田:ただ、使う機械もピペットも、ピペット作りの道具とかそういうのが揃わないんで、アメリカから粘土で固めて割れないようにして持って来たピペットで、最初のヒトの顕微受精やった訳ですね。で、彼女は本当に今まで名古屋大学で何回も何回もやって、受精卵が1個も出来なかったのが受精卵しっかり出来たんです。出来たけど結局妊娠しない。でもICSIはそんなもんじゃないんで、ということで僕は逆にお願いして、彼女はもう受精卵が出来たんでこれで終わりにします、と。これちょっと収まらないんで、もう1回やらせてくれって言ってやらせていただいて、それで双子の女の子が生まれたんです。

マイ:すごいですね。

リュウタロウ:反応がすごい良かったんですね。

浅田:それで成人式の時にはちゃんと着物の写真もらいました。

リュウタロウ:感動ですね。

マイ:それが日本初のICSIの成功っていうようなかたちなんですか?

浅田:いや、日本初ではないんですけど。ICSIのはあったんですけど、私の日本初は無精子症の人の精巣から手術的に採った精子で妊娠したのが日本初です。

リュウタロウ:なるほど。

マイ:そうなんですね。

浅田:私の報告としては。だから実験をずっとやって来て、それが役に立つとはあんまり思ってなかったんですけど、ヒトに役に立つんだと、日本に帰って来て実感しました。

リュウタロウ:なるほど。

マイ:嬉しいですね。

 

生殖医療におけるブレイクスルー(進歩)

西村:引き続き、浅田レディースクリニックにお邪魔しております。お話を伺っておりますのは、理事長、浅田義正先生です。

後半もよろしくお願い致します。

浅田:よろしくお願い致します。

マイ:ICSIが普及してですね、また培養技術とかが向上して検査とかにおいても、AMHですとか、PGT-Aとか新しい技術が次々と出て来ておりますが、生殖医療の発展において一番すごいなっていう風に思ったのはどのような技術ですかね?

浅田:一番ですか。

マイ:一番(笑)。

浅田:私は生殖医療においてブレイクスルーは3つあると思ってるんですね、今までは。それで1番目はやっぱり体外受精そのものですね。2番目がICSI、3番目が凍結の技術であるビトリフィケーション、ガラス化法ですね。凍結することによっていろんなことが解決出来るんで、その3つがブレイクスルーだと思ってます。

リュウタロウ:はい。培養の技術とかはいかがですか?

浅田:培養の技術はですね、徐々に徐々に上がって来てるんですね。培養液の改良と、あと培養器の改良。だから昔みたいな冷蔵庫みたいな培養から個別培養ということになって、それから外に出さずに観察するというタイムラプスになったと。これは、我々の培養の技術というのは卵を培養する時には酸素が5%なんです。CO2が5%、あとが窒素。普通のガン細胞とかなんかは、CO2が5%、6%、でインエアーということで20%酸素で、普通の細胞を培養してる訳ですけど、低酸素じゃないとヒトの卵って上手く育たないです。

リュウタロウ:
体内は酸素はそんなにないですもんね。

浅田:だからフタを開けた時に20%酸素になるんですね。だからそういうことが少ない条件で、低酸素環境をいかに守ってるかということで培養器はずっと発展して来ました。

リュウタロウ:なるほど、はい。

マイ:いかに開けずに見るか、っていうことですね。

浅田:そうですね。20%酸素でさらさないという、そういうことですね。

リュウタロウ:10年位前って胚盤胞になること自体がすごいなっていう感じがしてて、今、逆に胚盤胞が出来るのが当たり前みたいな感じがするんですけど、その辺りも培養器の発展っていうところが・・・。

浅田:培養器と培養液ですね。

リュウタロウ:なるほど。

浅田:だから1993年にアメリカに行った時に、私のいたラボに胚盤胞の写真が貼ってあったんですけど、それ最初何だろう、どうしてこんなの貼ってあるんだろうと思ったんですよ。それすごいことだったんですよ。胚盤胞まで発育した卵の写真っていうのが。

リュウタロウ:なるほど。

浅田:その時は全然感じなかったんですね。で、私が最初の胚盤胞バイヤーになったのが1998年、世界で初めて胚盤胞用の培養液が発売されたということで。だからそれからもう20年以上経ってる訳ですね。その間に本当に少しずつ良くなってきたということですね。

リュウタロウ:先ほどのブレイクスルー、ガラス化の方法もどんどん進化して、凍結して胚盤胞っていうのが今普通になって。

浅田:そうですね。胚盤胞に培養出来るようになったのでPGT-Aが初めて有効になったんです。

リュウタロウ:そうですね、はい。

浅田:3日目の初細胞でやってたPGT-Aは無効だという結論になってたのが、それで培養法で変わった訳ですね。

リュウタロウ:はい。そうですね、最初は確かに顕微鏡でやってた・・・。

浅田:そうですね、細胞を抜いてというやつですね。

それが胚盤胞だったらもう赤ちゃんになる部分と、その胎盤になる部分で、胎盤になる部分だけ採っても赤ちゃんに影響がないんでやる価値があるという。3日目の初細胞だといろんな組織に変わる細胞なんで、初細胞から2つ採っちゃうと、4分の3になる訳ですね。だから逆に成長が悪くなっちゃうって訳で検査したメリットが出ないっていうとこですね。

リュウタロウ:PGT-A自体も、やはり患者様からの問い合わせでまだまだ誤解も多いのかなと思っていて、やはりダメージのリスクがあって完璧じゃないですよ、っていうのをご理解いただくのも結構大変かなって思ってるんですけども、それは初細胞期の頃だったらもっとシリアスな話かなと思いますね。そのあたりが進歩したのは・・・。

浅田:そうですね。やっぱり初細胞期の頃はPGDということで、疾患の診断で最初始まりましたね。筋ジストロフィーとかですね。

リュウタロウ:ありがとうございます。

ではですね、今後の技術について、例えばこれから非侵襲性のPGT-Aとかっていうところもあるんですけど、今後先生期待されている技術というのはどういうところがありますでしょうか?

浅田:今、PGT-Aは日本では臨床試験ということになってますけど、やっぱりこれは出来れば全ての胚をやるべきじゃないかなと思ってますね。そこで非侵襲性になればいいということですね。で、我々、発育の良い卵をこれはいいですよ、って言って移植してるんだけど、実はそれが萎縮性の卵であっても分からない訳ですね。患者さんに客観的には嘘ついてるかも知れない。それが分かるんだったら最初から誠実に調べて移植してあげたいという気持ちは僕はずっと持って来ました。

リュウタロウ:はい、確かにこう形を見るだけだと、どうしてもその中が分からないというところで、それが解決出来ていくっていうところですね。

浅田:そうですね。今、患者さんはすごくその形態の評価、グレードと言いますけど、グレードとPGT-Aの結果って全然一致しないんですね。グレードはもう背番号つけるみたいなもんだよ、と。順番を決めなきゃいけないんでというような説明ですね。PGT-Aをやらないと分からないですね。

リュウタロウ:ガラス化法、培養技術、PGT-Aときて、非侵襲性のお話も少し出て来ましたけど、さらにこう、どういう世界が、どういうところが出来てくるともっと生殖医療がブレイクスルーになってくるかなとかっていう・・・?

浅田:ブレイクスルーですか。難しいですけど、もっと言うならばIT細胞で卵子を作る、精子を作るですよね。

リュウタロウ:なるほど。

マイ:ああ・・・。

浅田:それはもう可能ですよね。でもそれは倫理的な問題もあるし、どういう人にやったらいいかとかっていう話になると思うんです。

リュウタロウ:そうすると再生医療と融合していくっていうのが夢の世界っていう・・・。

浅田:っていうかもう始まってますよね。

リュウタロウ:ええ。

浅田:マウスなんかでは卵を作る、精子を作るってかなりやられてます。

リュウタロウ:はい。

浅田:ヒトまでは長いと思いますが、思ったよりそのスピードが速いんで。

マイ:そういう風になっていくと年齢の問題とかも解決出来るようになっていくっていう。

浅田:解決するっていうこともあるかも知れないですが、高齢で不妊治療をやった人は育児と介護が必要になったりとかね、親の。

リュウタロウ:一番最初にお話いただいた妊娠するのと栄養摂ったりするのは基本的に違うお話だよ、っていう。

浅田:だから出産に耐えられる体力があるかって話になりますね。

リュウタロウ:はい。

 

浅田先生からメッセージ

西村:さて、3週に渡って浅田レディースクリニック理事長の浅田先生にボリュームたっぷりで、いろんなお話を伺ってきたんですが、先生、患者の皆様、それからラジオを聴いていただいてるリスナーの皆様にですね、是非メッセージを頂戴出来ますか?

浅田:はい。難しいですが、不妊治療は本来結婚したら簡単に妊娠して、子供が何人出来て、という、そういう計算をする上で、それが上手くいかないんで不妊治療をやってる人が多いんですね。不妊治療は人生の、自分の思ったのと狂ったところをリデザインすると。

リュウタロウ:なるほど。

浅田:それが不妊治療であるということは、確実に、より正確にというか、計画的に実現しなきゃいけないんで、精度の高い不妊治療にしなきゃいけない。で、不妊治療は子育てからいうと、スタート前に何をモタモタしてるんだという話で、早く子育てに入って欲しいと。人生の貴重な時間を子育てにして欲しいし、その上で子育てをすると、自分では人生の記憶にない、人生の一部は経験出来る訳ですね、自分ではないにしても。それで、自分の人生は完結するんじゃないかということで、そういう風に早く結果を出して子育てを楽しんでいただきたいというのが私からのメッセージですね。

西村:はい。ありがとうございます。

浅田レディースクリニック理事長の浅田義正先生でした。先生、ありがとうございました。

浅田:ありがとうございました。

リュウタロウ・マイ:ありがとうございました。

西村:さて、お時間となりました。今日は、浅田レディースクリニック理事長、浅田義正先生にお話を伺い、アイジェノミクス・ジャパン、事業開発部長、リュウタロウさんとセールススペシャリスト兼臨床検査技師のマイさんと一緒にお届けしてまいりました。

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